2010/10/05

多様性

人はそれぞれ違ってあたりまえ、ということを多様性(diversity)と言う。オーケストラに限らず、人が集まり、各人の力を集結し、一つの結果を出すという、いわゆるチームワークにおいては、多様性を認めなければ何も始まらない。多様な考え方、価値観、才能や性格を備えた人間の能力を結集することにより、個人や同じ考え方の仲間だけではできない、より高度な創造活動(文化活動・企業活動・国際貢献など)ができるのである。

日本という限りなく単一人種単一民族に近い環境に生まれ育った日本人、特に戦後の高度経済成長を支えるために行われてきた戦後学校教育は、個性や多様性を育むのではなく、国民全員を単一の価値観のもとに教育し、競わせてきた。これが要因となる、多様性に対してはマイナスとなる様々な特徴を、日本人に見ることができる。

例としてまず、肌の色について「彼女は色白だ」「彼はよく日焼けして真っ黒だ」などと、とにかく「平均」と比較してとやかく言う。遺伝情報や生活パターン、スポーツなどの趣味が異なれば、肌の色が違ってあたりまえなのだ。ついでに本題から少しはずれるが、ひとたび日本を出れば、特に白人から黒人まで様々な人種が一緒に暮らすアメリカ合衆国などでは、どんなに色黒や色白の日本人でも、「アジア系」という枠でくくられる。多くの日本人には、そういった意味でもっと広い視野で考えて欲しい。つまり多様性を認識して欲しい。

二つ目の例は「流行」、つまり物事の流行り廃りである。先ほどの肌の色にも例がある。「顔黒(ガングロ)」が流行ったかと思えば、次は「美白」である。猫も杓子も無理やり日焼けをし、今度は色白を目指して不健康な生活を強いた。茶髪もそうであるし、ルーズソックスもそうだ。こういった流行の背景には、他人と同じようでいたいという没個性、単純な価値観の変遷がある。そしてそれらの基礎として、自分の価値、存在意義、自分という個性の否定や、周囲と同じにしていれば安心という安易さがあるのではないだろうか。美白や茶髪をすべて否定しているのではない。それらの似合う人はそうすればいい。自分の価値、つまりスタイル、顔形を見直し、自分にあった格好を考えるべきではないか。

さてここからが本題で、「物事の考え方、意見、思想」などについての多様性について考えてみたい。相手の考え方が自分とは異なっているのに、お互いに合意して一つの物事を推し進めていかなければならない場合、どうすればよいか。お互いに、自分の主張が正しいと信じて、お互いに相手を説得しようと話し合うのも一つの方法ではある。しかしこれはいわゆるどっちが勝つか負けるかという方法であり、その結果もたらされるものは、どちらか一方の考え方を単に実施に移すことであって、多様性に基づいたチームワークとはいえない。

ではどうするか。まず大切なことは、自分と異なる相手の主張を理解しようとする心がけである。相手が主張していることの事実だけでなく、その背景・基礎となる考え方・価値観などを理解することで、本当に相手の主張する考え方を理解することができる。そして自分の考え方も同様に相手に理解してもらう。こうなって初めて、AとBという考え方があるが、ベストはどれか、AなのかBなのか、それとも1+1=3のように新たなCという方法を見つけることができるのか、本当の意味でのチームワークを発揮できるのである。これは最近、英語の新語でsynergyと呼ばれている。つまりsynchlonize + energyでsynergyである。繰り返すが、大切なことは、自分を理解してもらおうとする前に、まず相手を理解することである。Stephen Coveyの"The 7 Habits of Highly Effective People"のHabit #5である、

"Seek first to understand, then to be understood"

そして、同じくHabit #6である、

"Synergize"

である。それでは、オーケストラにおける具体的な例をいくつか示してみたい。運営に関することは、上で述べた説明で十分と思われるので、ここでは指揮者等に対して音楽面についてのみ例をあげる。

自分の指揮と音(テンポ、リズム)が合わない場合
「指揮を見てください」とか「合わせてください」というのは簡単で、それで解決するならば問題はないのだが、これでは、「まず相手を理解する(first to understand)」部分が抜けてしまっている。まず相手を理解すること。つまり指揮を見ているのか見ていないのか、見ていないのならその理由は何か。例えば楽譜を覚えていないから指揮を見ることができないのか、指揮の見方がわからないのか。指揮を見ているのなら、奏者のリズムの感じ方が自分と違うのか、あるいは奏者からは、指揮者自身の感じている通りのリズム・テンポには見えないのか。いずれにせよ、まずは奏者の立場で、奏者の目線に下がって相手を理解しようとする心がけ、そしてその次に自分の指揮をわかってもらおうとすることが大切である。

テンポやクレッシェンド、曲の解釈などが自分の考え方・趣味と合わない場合
演奏する曲、あるいはその一部に対して非常に強い思い入れをもった奏者がいたとしよう(全員がそうであって欲しいのだが)。そしてどうしてもあるソロ奏者あるいは弦楽器全体が指揮者の思っているテンポで演奏することを拒否する場合はどうするか。ここでは、練習初期のためテンポを落とさないと演奏できないということは除外する。まずは、相手の求めている音楽がどういったものなのか、心底理解しようとする必要がある。この時、「自分の方が正しい、指揮者が最終的に決める権限がある」などと思っていると、本当に相手を理解することはできない。相手の芸術性の良いところを自分の指揮する音楽に取り入れるつもりで、良い点を探り出そうと、相手の演奏や話を聞かなければならない。つまり1+1=3を目指すのである。そしてその前提として、「人は皆考え方や価値観が違う」ということを認めなければならない。いろいろな考え方・音楽観があって、それを寄せ集めて一つにまとめることが指揮者の本領なのだ。50人のオーケストラで50人全く同じ趣味の人がいてもいいものはできない。20人のヴァイオリニストが同じ周期で同じ幅のヴィブラートをかけても美しい音にはならない。また、50人それぞれの考え方を公平に取り入れ、全員が同じだけ妥協して「平均的」な音楽にするのも、これまたナンセンスである。50の頭脳をあわせて100となる音楽にしなければ、チームワークとも呼べないし、指揮者の責任を果たしたことにもならない。

最後に、多様性について注意すべきことを列挙しておく。それは、人種、宗教、肌・髪・眼の色、性別、国籍、民族、年齢、障害、職業、住所などである。ある規則やルールに合致している限り、これら本来音楽をすることとは関係ないことで差別することはあってはならない。こういった多様性を認めるということを、日本人は特に注意しなければならない。余談ではあるが、最も真似してはならない悪い例を二つあげておく。一つ目は、二つの政党がいつまでもお互いの主義主張をくりかえすだけで、議論がずっと平行性をたどり、最後には国会の多数決で決めること。お互いの考え方を理解しあい、より良いものを作るという姿勢が欠如している。もう一つは、最近のブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言である。あれはあくまでも自由主義圏の人間から見た「悪」を主張しているだけであり、指摘された国々の当人たちは当然それを「善」と思い、あるいは「自国のため」と思って行っていることなのだから、一方的に「悪」だと決め付けても相手がそれを理解できるはずがない。クリントン時代に実現したパレスチナ和平合意のように、相互理解のうえにたったより崇高な思想が必要だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿