2011/09/16

脳を鍛える

以前から左脳は論理、言語、右脳は立体認識や芸術などに司っていることは知っていたが、最近それを意識的に鍛えることができるのではないかと思い始めた。理由はこうだ。私は小さい頃からエレクトーンで育った。ピアノと違いエレクトーンは、右手には早いパッセージが多くでてくるが、左手はもっぱら和音を使った伴奏である。その分左足を多用するが、足の指先を細かく使うわけではない。また、小さい頃から和声、カデンツァ、編曲、即興演奏などを習ったが、YAMAHAのカリキュラムかどうかは知らないが、もっぱらパターン化されたことを習った気がする。グレードアップ試験のための勉強であり、ある意味受験勉強に似ていた。

私は指揮者をやりはじめてからずっと、自分には音楽性がないのではないだろうか、ということで悩んでいた。特に学生時代はそうであった。ただその分を分析的に聞き、修正していく能力、論理的に楽曲を組み立てていく能力で補い、指揮者としてやってこれたのだと思う。

私が音楽的に目覚めたのは社会人になってから、堺フィルで練習指揮者をしていたころではないかと思う。自分では、経験と年数と努力とたくさんの音楽を聴き、すばらしい音楽家と接してきたためだと思っていた。しかし、もしかすると、一番大きな理由は、仕事でコンピュータを使うようになったこと。つまり左手を右手と同様に使うようになったことではないかと最近考えるようになった。つまり左手を使うことによって、右脳つまり音楽脳を刺激していると。

そう思った理由はこうだ。最近ピアノを練習している。クラビノーバを買ったときに付いていた名曲集の中から、モーツアルトのソナタK545を中心にベートーヴェンの悲壮ソナタ、シューマンのトロイメライ、ショパンの別れの曲などを練習している。はじめは左手の早いパッセージなどまったく弾けなかったが、いまではそこそこのテンポできれいに弾けるようになってきた。

最近の自分の音楽づくりを自分で評価すると、表情面、心理面などをまず最初にイメージできている。そしてどうやったらその通りの音になるのかという、自分がもともと持っていた分析能力も劣っていないと思う。両者をうまくバランスしながら合奏練習を進められていると思う。これはひとえに左手の影響ではないかと思っている。つまり左手で早いパッセージをきれいに弾けるということは、いわゆる筋肉が覚えている状態、つまり音楽を記憶している海馬と左手を動かす右大脳皮質が直接やりとりできている。練習の初期の段階では、楽譜を読み、指の動かし方を確認し、音を聞き、イメージと照らし合わせ、指を動かす、という左脳と右脳が多くのやりとりをしていた。つまり左手が動くようになるということは右大脳皮質内のシナプスの結束が増えたことではないだろうか。それだけ右脳内の情報処理スピードが上がった、つまり処理量が増えたということだ。

少し話は変わるが、私は研究の仕事をしている。周囲は全員いわゆる理系の人間ばかりだが、研究の中でも商品開発は、科学とともにセンス、いわゆる音楽や芸術に通じる能力、消費者の心理を読み取る能力が必要不可欠だ。最近気づいたのだが、理系で左利きの人は、論理的思考能力とともに、このセンスの部分をバランスよく持っている。特にものを造る仕事において重要な立体認識能力にすぐれているのではないかと思う。特に女性で理系で左利きの人は論理能力と芸術能力の協調によって、普通の人では思いつかないような結果を出すのを実際に見てきた。女性は男性より脳梁が太い、つまり左右の情報伝達キャパシティーが大きいのもその理由ではないかと思う。

以上の状況証拠より、以下のことが言えるのではないだろうか。自分の音楽に芸術性、メンタル面の深みが足りない、自分は音楽が理解できていない、と思うならば、左手を鍛えること。弦楽器はその意味で有利だと思う。一方、自分はできない部分をできるようにする機械的訓練が苦手だとか、自分の音楽は独りよがりだとか歌い方がめちゃくちゃだとか先生や先輩によく指摘される人なら、右手を鍛え論理的に音楽を組み立てる能力、音をよく聞き何が違うのか分析する能力を養う必要がある。つまり右手を鍛えること。つまりピアノだ。木管楽器は指がほぼ同じ場所に固定されているために、どこまで脳を直接鍛える効果があるかはやや疑問である。やはりピアノのほうが効果は大きいと思われる。騙されたと思ってピアノを練習してみてはいかがだろうか。もちろんできない曲を練習しなければ意味はない。たとえすぐに効果は出なくても、少なくともピアノは上手になるというメリットは間違いなくある。

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