2011/09/16

演奏の三要素を理解し伸ばす


音楽を演奏するには、楽器奏者であれ、指揮者であれ、音楽的であること、自分の意志を人に伝えるということ、そして音を出す技術、の三つの要素がどれも必要不可欠です。どれも演奏するためには必要不可欠ですあり、上に挙げた順番に特に意味はありません。上手あるいは下手と一言でかたずけてしまわずに、自分自身の能力を客観的に分析し、何を伸ばす必要があるのかを正しく理解することが、上達への近道です。技術的上達度合い、精神面での成熟度、経験などによって、何が不足しているかは人それぞれです。以下にそれぞれの要素をいかに伸ばしていくか、私なりの経験をまとめてみました。

音楽的であること
音楽的であることとは、つまりフレーズやリズム、アゴーギグが美しくなければなりません。メトロノームに合わせて正確なリズムで正確な音程で演奏することはもちろん大切ですが、それだけでは音楽的にはなり得ません。少なくとも楽譜に書かれている全ての記号、指示(アーティキュレーション、テンポ、表情、ダイナミックスなど)を正確に音にすることが必要です。さらに、ほとんどのクラシック作品では楽譜に書かれていないフレージング、ダイナミックス、アーティキュレーション、テンポ変化などを見つけ出し、表現しなければなりません。

では、いかに楽譜に書かれていないことを見つけ出すか。これには、楽譜を見ながらレコードを聴くという勉強方法がいいでしょう。それもできるだけソロや室内楽の曲がおすすめです。たとえばブラームスのシンフォニーを演奏するにおいては、ブラームスの弦楽四重奏を聞いてみましょう。細かいフレージングや楽譜に書かれていない息あわせや「間(ま)」のとりかた、スラースタカート、テヌート、スフォルザンドの弾き方などが見えて来ると思います。モーツアルトは特に、楽譜にかかれていない強弱やアーティキュレーションをどう決めていくのか考えなければなりません。レコードを聞くと、いかに多くの楽譜に書かれていないことが行われているか気づくと思います。同じ作曲家のいろいろな曲を勉強し、また、作曲家が違えば同じ記号でも音の出し方が異なることがある、ということを理解すべきです。

自分の意志を人に伝えるということ
(演奏会で)演奏するということは、自分の意志を人に伝えるということです。もちろんそのためには、何かを表現したいという欲求、つまり意志がなければなりません。ただ楽譜に書かれていることを正確に演奏するだけでは、それは音楽とは呼べません。全てのフレーズ、全ての音符に自分なりの意味を込めて演奏しなければなりません。世界中でその価値を認められているクラシック音楽には、無意味な音符など一つもありません。

音に意味を込め、音楽として完成させるには、まずその作品の全体像をつくりあげなければなりません。自分なりにその作品に沿って物語を作ってみましょう。そして楽章ごと、テーマごと、フレーズごと、そして一つ一つの音符や休符というふうに、全体から細部へと順に考えながら意味を持たせて下さい。意味をもたせるとは、なにも明確な言葉として表現できなくてもかまいません。自分の心の中に描ければいいのです。もちろん、オーケストラの一員として演奏するからには、指揮者と奏者、あるいは奏者同士で解釈の違いもでてくることでしょう。そこを調整していくことがオーケストラの魅力でもあります。

音を出す技術
頭の中に音楽があり、心の中に表現の欲求があっても、それを表現する技術がなければ何も始まりません。ここでの技術とは、楽器を鳴らす、あるいは指揮を振るということを、腕や口の運動、そして弦や唇の振動の制御ととらえ、つまり物理現象としてとらえています。物理的に未熟な部分は、練習を繰り返すことによって誰にでも克服できます。できないのは努力不足以外の何ものでもありません。

自分の苦手なパッセージを練習するにあたって、例えば、正しいリズムはわかっていて、単に物理的に指とタンギングが連動していない、と思うのなら、それをできるようになるための物理的な練習が必要です。これは、スポーツと同じで、体に覚えさせるということで、いかに多くの回数繰り返すかにかかっています。同じことを繰り返すことにより、指と脳、舌と脳の神経細胞ネットワーク(シナプス)が形成され、その動作(パッセージ)専用の神経回路が形成されます。ここまでくれば、大抵のことではそれは失われません。出来ない部分を繰り返し練習するときは、目標を持ちましょう。たとえば、「一日に50回弾き、いついつまでには成功率を100%にする」とか。

また「耳を鍛える」つまり自分の音を客観的に評価できること、そして目標を知ることもこの技術と密接な関係があります。

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