2016/04/11

楽譜とは


画家は作品を直接鑑賞者に見せることができます。陶芸家は見てもらうと同時に触れてもらうこともできますし、使用してもらうこともできます。これらの物体としての作品を通して、作者は作品の意図、主義主張等を永久的に形にとどめることができます。もちろん、作品を見せるということは、作品表面で反射されてくる光を人間の目が感じ取ることですから、それを展示する場所の光線の具合で、ある程度は変化します。だから美術館などはそのことに十分神経をつかっています。

これに対して、音楽家は音楽を通して自分の意図、主義主張等を永久的にとどめることは、録音を除いてはありません。ですから、録音という技術ができる以前は、楽譜が「意図を人に伝える」という意味で重要な役割をはたしていました。もちろん録音が可能な現代でも、奏者に音楽の骨組みを伝えるという意味で楽譜は重要です。しかし完璧ではありません。マーラーや近代の作曲家は、楽譜に多くの言葉を用いて様々のパートに指示をしています。ブラームスをはじめ多くの作曲家が、発明された直後の録音技術を用いて、自作自演の録音を残しています。これらは、自らが表現しそれを人に伝えたいという、芸術家ならだれもがもっている願望のあらわれだと思います。つまり、作曲は自分の書いた楽譜だけで、後世に自分の音楽を残すことに物足りなさを感じていたと思います。だから楽譜だけに頼って演奏していたのでは、良い音楽は生まれてきません。

さらに、特に金管楽器について、昔は演奏不能であった音をどう処理するかという問題もあります。最近は原典主義とでもいいましょうか、作曲家が残した自筆譜に忠実に演奏するのがトレンドですが、一昔前まではたとえばベートーヴェンなどの2nd Trpなどで昔は低くて出せなかった音を吹かせるなんてことが当たり前でした。あるいは、モーツアルトが当時音程が不確かなため嫌っていたフルートを加えて木管楽器全体の割り振りをかえてしまうとか。私はあえて楽譜に手を加えることへの賛否をここでは表明しません。が、こういったことを考えることは作曲家の気持ちになって考えてみるという意味で大切なことです。

楽譜は考古学に喩えるなら、貴重な土器の破片です。指揮者と奏者全員が元々一つであった土器の破片をもっていないと、正確な古代の生活を再現することができません。つまり、全員が同じ版の楽譜を使わなければよい演奏、効果的な練習はできません。また練習番号を統一してふっておくことと、小節番号をふっておくことは常識です。繰り返しカッコの部分などは版によって小節の数え方が異なるので注意しましょう。これらの準備はオーケストラでの最低限のマナーです。

続・楽譜とは

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