2014/02/01

Cultural Identity

私はマルチ・カルチャーな職場、多国籍な職場で15年ほど過ごしている。自分のカルチャーとは、自分とは何であるかということを意識することになる。一方、日本を振り返ると、大部分の日本人がcultural identityを持っていないのではないかと思う。文化的アイデンティティーとはどういう意味か。英語のIdentityを上手く説明できる日本語はない。辞書によると、身元、正体、個性、独自性、主体性、自己、自分らしさ、などとなるが、どれも英語のidentityをぴったりと説明はできていない。あえて言うならば、他と比べて自己の特徴を認識しそれを大切にすること、ではないだろうか。

あなたは、自分はcultural identityを持っている、と反論するかもしれない。では、あなたは日本の名勝、史跡、文化財などを見るときの気持ちと、外国のそれらを見るときの気持ちに何か違いを感じるであろうか?もちろん、美しいことに感動し、歴史の重みを実感するであろう。ここで問題にしているのは、その先にある感覚の部分である。日本の文化財などを見るときにも、外国のそれらを見るときと同じような「日常との隔絶」を感じ、「何か違うもの」「珍しいもの」と感じていないだろうか? 日本の文化財を見るとき、自分の拠り所、あるいは自分というものを確立している土台だという感情を持つなら、あなたには日本人というcultural identityがあると言える。そうでなければあなたは無国籍あるいは無文化人だと思ったほうがいい。

では、cultural identityが無いと何が問題なのかということを説明しよう。「外国の文化を理解する」でも触れているが、我々は日本人としてヨーロッパ文化の最高レベルのものを扱っている。つまり、いくら頑張ってみても、いくらわかったつもりでも、所詮は異文化の音楽を演奏しているのである。だから異文化を理解する心構えと技術、勉強が必要なのである。そこで最も問題となるのが、自分の属する文化の理解度であり、cultural identityの有無なのである。Cultural identityがなければ、異文化の核心を見極めることは不可能である。古い神社や寺を見て感動し、自分の先祖や歴史上の人物がどういう思いで日本を生き抜いてきたのか、そういうことに思いを馳せる。普通に歩いていたら見過ごしてしまいそうな石碑に刻まれた歴史上の人物が没した場所などに気づき、そこから自分の時代に至る歴史の流れに感動できるか。そういった自分の文化を持たずして、なぜ異文化を理解できようか。

かく言う私も、cultural identityを自覚するようになったのは、社会に出て多くの外国人と仕事をし、外国での生活を重ねた結果である。それ以前の学生時代には、自分もその時々のトレンドに流され、翻弄されていた一人で、日本人の自覚なんてさらさら持っていなかったし、史跡や神社仏閣なんかには全くといって興味を持っていなかった。Cultural identityを自覚するようになると、ヨーロッパ音楽に対する見かた、考え方、感じ方が全く変わってくる。今までまったく理解できなかったフレーズの歌い方やリズム感、バランスのとり方、などなど、ありとあらゆる点において、「目から鱗」のようにいろいろなものが見えてくるようになる。演歌や民謡を、「クラシックをやっている自分には関係ないもの」ととらえいたらクラシックは見えてこない。演歌も民謡も盆踊りも、自分の血潮をつくるものとして感動できてこそ、異文化としてのクラシック音楽が見えてくる。

日本では、「日本人とはかくかくしかじか」という教育が全くされていない。日本人らしさや日本の文化の良さなどは全く教えられない。先進諸外国と比べると、これは非常に変わっている。ゆえに、日本人で外国文化を扱う我々は、自ら進んで自分の文化に触れ、理解し、自分のものであると自覚し、それに感動できるようになる必要がある。

2014/01/25

あがりを克服する

ステージに出ると「あがる」、いわゆる「あがり症」。心拍が速くなり、息が浅くなり、手に汗をかき、喉が乾き、、、、実力の10分の1も出せない。あがり症はどうしたら克服できるのか。悩んでいる人は少なくないと思う。

実は、私はフルートを人前で吹くとき、必ずあがる。それも年々ひどくなる。オーケストラだろうがソロだろうがアンサンブルだろうが、関係なくあがる。真面目な演奏会だろうが、飲み会の席でちょっと余興で吹くときだろうが、とにかくあがる。唇が震え、汗をかくから楽器がすべって、音がでなくなる。指が脳の支持どおりに動かず、ブレスも浅くなる。かなり重症だと思っている。

指揮をするときやステージの上でマイクを持って話すとき、仕事などでプレゼンをするとき、まずあがることはない。

どうしてフルート演奏だけにこういう症状が起こるのか、どうすれば治せるのか。

一つのガイドは、こちらの本、カトー ハヴァシュ (著), 藤本 都紀 (翻訳), 今井 理瑳 (翻訳)による『「あがり」を克服する—ヴァイオリンを楽に弾きこなすために』だ。ここでは、楽器奏者はあがり症が多く、歌手には少ない、というところから始まって、その元凶は、楽器奏者はとにかく間違わないようにと教えられて育つのだが、歌手はまず言葉をコミュニケートすることを教えられて育つ。だから、歌手は観客とコミュニケーションしている。楽器奏者であがり症の人は、ステージで孤独と戦う。だからよけいにあがる。

自分に当てはめると、納得できる。指揮をするときは、オーケストラと、そして観客とコミュニケートしているつもりで演奏している。プレゼンはもちろんリスナーとのキャッチボールだ。フルート演奏でもそういうつもりで演奏するべきなのだが、なかなか難しいというのが私の現状。

おもしろいビデオをみつけた。あがり症は文明よりはるか彼方の祖先の動物のDNAに刻み込まれている、fight or flightつまり戦うか逃げるか、という本能での判断の部分に関わっているらしい。これを克服するには、できるだけ本番に近い状況でのリハーサルを数多くすることと、本番の経験を重ねることだそうだ。言われてみれば当たり前かもしれないが、それしか方法がないということかもしれない。ちなみにこれは"Required watching for any TED speaker: The science of stage fright"、つまりTED Talkに選ばれた人に見ておくことを求めている。


2014/01/24

アイコンタクト、指揮者の目

アイコンタクトは、時には指揮棒よりも重要である。

ロンドン交響楽団の指揮マスタークラスのでのゲルギエフのお手本と生徒のやっていることの違いを見てほしい。(1:52〜) アイコンタクトの重要性を極端なやり方で教えているのだが、指揮の基本である。



2013/10/15追記:ハイティンクによる、ブラームスの交響曲第3番第1楽章冒頭のレッスン場面。二人目の生徒(1:59〜)に対して、最も重要な瞬間に下を向かないようにと言っている。皆は指揮者の目を見ているのだとも言っている。当たり前のことだが、全ての音、全ての奏者に対して気をつけたいものだ。



2013/10/27追記:バーンスタインによる、ハイドンの交響曲第88番の第4楽章である。この曲を知り尽くしているウィーンフィルハーモニーに対する信頼の厚さを表している。

2014/01/23

フレージング〜日本語と西洋音楽

日本語を母国語とする私たちが気をつけなければならない第二点は、フレージングである。日本人は、大事なことは最後に言い、最後まで待って理解する文化であるが、西洋では真逆で、大事なことは最初に言う文化である。

日本語は文を最後まで聞いて初めて意味が分かる。つまり、「〜しようと思っている」のか「〜した」のか「〜しない」のか「〜できなかった」のか、など。この考え方のまま英語で話すとまず相手はイライラする(よくある日本人英語)。欧米の言葉に共通するのは、これら助動詞は文の最初に出てくる。英語で言えばそれぞれ、「plan to ~」「did」「will not」「couldn't」である。例えば「今日、AさんとBへ行って、CをしてDを見てEを買って楽しかったけど疲れた」という話をするとする。聞き手にとって、最後が「疲れた」なのか「楽しかった」なのかが重要であり、それによって返答が違ってくる。英語だと、「I was tired because ~」なのか「I had good day today ~」で始まるので、聞く態度も変わってくる。

また、主語がなくても前後の状況やボディーランゲージで主語が誰を指しているのか予測する文化(high context culture)だ [1]。欧州言語ではこれはまずあり得ない。最初に出てくる主語が「私」なのか「あなた」なのかは重要だ。話は逸れるが、主語の省略はビジネスの場では時として致命的なミスコミュニケーションを誘発する。

話の組み立ても日本語では「起承転結」が美しいとされる。最後まで聞いて始めの意味がわかるという美学がある。西洋のコミュニケーション体系では、まず結論を提示しなければ、相手はなかなか理解してくれない。つまり最も言いたいことを最初に言う。プレゼンテーションの構成はこれができなければ失敗。

私は、これらが音楽にも当てはまると考えている。それは次の2点。

一つのフレーズの中で大切なのは、フレーズの最初の音。特に、弱拍からはじまるフレーズのときに気をつけなければならない。誤解の可能性を承知で言うと、弱拍でも最初の音には実はアクセントがついていると思っていた方が良い。歌詞を当てはめてみれば良い。例えば、West Side Storyの「Tonight」。4拍目から始まるメロディーの最初の音には「to-night」の「to」が割り当てられている。次の小節の1拍目の「night」も重要で確かにアクセントがつく。だが、今晩なのか明日の晩なのかを決定する「to」のほうが重要だとも考えられる。もちろん劇と場面の解釈によって変わってくるが。

二つ目は、主題(テーマ)の扱い。例えばソナタ形式で言えば、第一主題と第二主題だ。最初は単純なテーマであり、それらをつなぐ部分が複雑で盛り上がる部分であったりするし、当然展開部が盛り上がったりもする。それでも重要なのは、テーマが最初に出てくる部分で、その曲全体を主張するくらいのエネルギーを注ぐ必要があると思う。つまり、15分のプレゼンテーションをするときに最初に重要なポイントを明確に言う、ということと共通する。

[1] 上海玄論翻訳 日本語における主語の省略

2014/01/22

イントネーション〜日本語と西洋音楽

日本語を母国語とする私たちが西洋音楽をやる上で最も気をつけなければならない点の一つに、イントネーションがある。日本語のイントネーションと西洋音楽のイントネーションは、基本的に違う。

日本語というのは子音がはっきりしていなくても会話ができる。というのは我々は母音の並びで言葉を理解する耳を持っているからで、子音で終わる言葉にもわざわざ母音を最後に追加してしまう。例えば、「milk」という1音節の単語でも「ミルク」と、「l」の後と「k」の後にそれぞれ「ウ」という母音を追加して3音節にして理解している [1]。極端な話、録音から子音をすべて消しても話の意味は通じるそうだ。しかし英語やドイツ語ではこれは不可能。むしろ子音だけを並べた方が会話ができる。それだけ音の立ち上がりを聴く文化圏でありそういった耳になっている。そもそも日本語は母音語族で欧米語は子音語族だそうだ [2]

こういった言語を使うヨーロッパから生まれたクラシック音楽だから、子音、つまり音の立ち上がりのキャラクターが重要となる。管楽器でいうと、タンギングは「T」の発音一つではない。DであったりときにKであったりPであったりすべきなのだ。これら違いを楽器を口にあてた状態の限られた動作範囲で使い分けなければならない。これが音のキャラクターというものだ。

音の中身、つまり母音も、もちろん重要だ。それはヴィブラートであったり、やわらかい響きや固い響き、膨らみ方、減衰の仕方などだ。だが日本人は、必要以上に意識して子音、つまり音の立ち上がりのキャラクターを作るように心がけたほうた良い。それも強めに作らなければいけないと思う。プロの奏者の音を間近で聞けばそれがよくわかると思う。

[1]  理化学研究所 外国語に母音を挿入して聞く「日本語耳」は生後14カ月から獲得-日本人乳幼児とフランス人乳幼児の子音連続の知覚は発達で変わる-
[2]  子音語族(欧米)と母音語族(日本)違い~起源は、危機・威嚇・警戒音と自然発声音~

2014/01/12

バイリンガルは良い意味で二重人格

バイリンガル、二カ国語を操れる人、は二つの違う価値基準を持っているのではないかと思う。言葉は文化そのものだから、二つ目の言語をある一定以上のレベルで習得できていれば、その文化圏の考え方、価値観も身に付いているに等しい。自分がそうだと思う。よく人からも言われる。私の周りの日本人を見ていてもそうだ。ある一定以上の英語レベルの人は、やはり言動や好み、判断基準が日本人とはちょっと違っている。しかしこういう人も、日本語で話していると日本的価値判断になって、やはり日本人だなあ、となる。つまり、英語で話していると、英語圏の価値判断基準が働き、日本語で話すと日本的価値判断基準に切り替わっていると思う。悪く言えば二重人格ともなるが、これは国際交流では大切な武器である。日本の政治や企業が世界に打って出るには、ここをなんとかしなければならないと思う。日本の外から海外のメディアを通して日本を見ていると本当にそう思う。音楽もそうだ。違う文化を見て感じるだけではなく、その中に身を置いて、自分に浸透させれば、その国の文化、音楽の本質が見えてくる。だからクラシック音楽をやるには多言語環境に身を置くことは非常にプラスになる。このサイトは学生オーケストラ向けであるから、あえて言えば、大学がもっともっと外国人留学生に門戸を開くこと(つまり英語で授業を受け、単位が取れるようにすること)。それはアマチュア音楽にとっても非常にプラスになるはずである。

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