2019/03/25

移転・全面刷新中

移転先で全面刷新に取り組んでいます。
学生オーケストラへの提言 https://note.mu/eps/m/m12a1e015db9d

ちょっと忙しくなってきて、時間がかかりそうですので、ブロガーでいったん削除した記事を元に戻しました。

2019/03/24

説明よりは指揮で表現を

Tuttiやセクション練習は、皆が音を出す場であり、皆が練習してきたことをお互いに試す場でもあります。指揮者だけが自分のやりたいこと(トレーニングプランなど)をやる場ではありません。まずは奏者を信頼し、できるだけ曲を頭から終わりまで通すようにしましょう。はじめから、曲を止めて練習しようという心構えではいけません。20分の曲の全体を練習するのに、はじめから止めては説明し、止めては説明し、をやっていれば、あっというまに1時間程度は、経ってしまいます。

また、全体を通すときのみならず、部分の練習の場合でも常に、奏者に注意してもらいたいポイントを、まず指揮で表現しなければなりません。指揮で表現できていなければ、いくら説明しても指揮者の目指している音楽にはなり得ません。

そのためにも、普段の指揮の動作は必要以上に大きくしないこと。そして注目してもらいたいポイントだけ大きく振ればいいのです。指揮で表現したことが伝わらなければ、同じパターンが次に出てきたときには、曲を止めずに口頭で指示します。それでもだめなら、曲を止めるしかありません。しかしオーケストラ全員が指揮を見ているのに、思っているような曲にならないのは、指揮者の表現力が不足しているということにほかなりません。もちろんプロでも、曲を止めて説明はしますが。

名指揮者Sergiu Celibidacheのマスタークラスでの彼の指摘は、"You conduct. You don't explain!"です。

2016/11/26

指揮棒の選び方

いきなりこのページに来た方、もしまだでしたらまずは「 指揮棒を持つか持たないか」を読んでほしい。

では、指揮棒を持つと決めたならどういう棒を選ぶべきか。長さ、太さ、材質、色、握り部分の大きさや形や材質などいろいろとあるが、最も重要なことは重心位置である。ただし、これが最も理想的だという重心位置はない。それは、指揮者の技量や音楽的成熟度などによって決まってくると思っている。

概して、経験の浅いアマチュアの学生指揮者や若い指揮者は、重心位置がなるべく握り位置に近い棒を持つのが良い。なぜならば、そうすることによって、単純に手や腕の動きが拡大されるだけで、指揮棒に振り回されることがないからである。重心が握り位置より先端側に遠ければ遠いほど、文字通り指揮棒に振り回される、つまりは棒の先端をコントロールできないという羽目になる。私自身大学3年のときには、ピックボーイの38cmグラスファイバーのコルクを取ったものの根元に、ゴルフクラブのヘッドに貼るバランス用鉛テープを巻いて、握ったときに丁度人差し指の上で釣り合うようにしていた。もう一点これの良い点は、グラスファイバーの軽すぎる棒をかなり重くできることである。こうすることで、指先や握りで指揮棒だけをコントロールすることは難しくはなるが、見やすい指揮になることは間違いない。一つ注意しておきたいのは、ピックボーイのカーボングラファイトに握り部分がローズフッドやエボニーなどの比重の高い木を使ったもの。これらのほとんどが、重心が握り位置より後ろ側になる。「高級品」を自負する以外、指揮棒としての実用性はゼロである。

技術的・音楽的成熟度から、こういった重心位置の棒での表現力に限界を感じるようになれば、普通に市販されているバランスのものを使える段階である。ただし、ここで注意しておくべきことは、やはりグラスファイバーやカーボングラファイトのものは軽すぎる。耐久性はあるのだが。おすすめはやはり木製で、ある程度の重さのあるものがよい。軽すぎるものは、棒の重みに任せた先端のコントロールがしづらい。ある程度重いものであれば、訓練を要するが、棒の重みに任せた表現が可能となる。これは弦楽器で、弓の重みに任せて音を出すのとまったく同じ原理である。決して棒の先端をコントロールしようとして強く握ってはいけない。棒の先端が自ら図形を動くかのごとく軽く握るべきで、それでもコントロールできる重さとバランスが大切である。ここでも、握り部分が木製のものはあまり推奨できない。やはりコルクのほうがバランス的に良い。下の写真でバランス位置を示した。

一つ目が45cm木製、重心が先端に近く、棒の重みを利用した指揮ができるが、コントロールは難しい。私もしばらく練習をサボっていると使いこなせない。


そういうときは次の45cmグラスファイバー製を使う。重心がやや握り位置に近いし、おまけに軽い。


最後が41cm木の丸棒で、普段室内楽の指揮に使用しているもの。ごらんの通り重心は中央であるが、重くもなく軽くもなく、非常に使いやすい。


指揮棒の長さについては、これはもう好みの問題である。傾向としては、小編成の室内楽などでは短い棒のほうが良く、大編成になれば長い棒のほうが良い。私の場合、フルオケを振るときは45cm、室内楽では38cmから41cmくらいであるが、私の使う長さはどちらかというと長いほうである。

最終的には私の指揮棒は村松の39.2cm(実測)に落ち着いた。フルオケでも室内楽でもこれが最もしっくりと来るようになって以来、同じモデルを何本も指揮棒ケースに入れて持ち歩いている。というのも、木製の棒は、指揮台に当たったりして簡単に折れるからだ。

指揮棒の太さについては、ある程度の太さがあったほうが奏者の側からは見やすい。グラスファイバーやカーボングラファイト製は細くて見づらい。この理由からもやはり木製のほうが好ましい。

握り部分の材質については、何度も指摘しているがやはりコルクに限る。木製のものは概してバランスがよくない。握り部分の大きさと形については、好みの問題ではあるが、余り大きく長いものは人差し指の第一間接に乗せたときに邪魔になる傾向があるので気をつけたほうが良い。自分の親指の長さ・太さ程度のものが使いやすい。球状のものはコルクを指先で握って棒の先端をコントロールするには向いているが、これはかなり高度なテクニックを要する。プロの指揮者でもこれをやる人は、私の知る範囲では二人しかいない。
指揮棒の色は、もちろん白が良いが、気をつけなくてはならないのが。奏者から見た背景である。つまり指揮者の着ている服の色、後ろの壁の色、あるいは窓から外が見えるならその背景の色、明るさである。私の出身大学のプレハブの第二音楽室は指揮者の背中側に窓越しに運動場が見え、グラスファイバーの白い指揮棒なんかは、管楽器からはほとんど見えない。

2016/11/05

指揮棒を持つか持たないか

これは非常に重要な選択であるが、多くのアマチュア学生指揮者が、明確な理由なしに「指揮棒は必要」と決め付けているようである(自分もそうではあったが)。指揮棒を持つ目的は何か。指揮者から遠い位置にいる奏者に明確に意思を伝えるためには、ある程度の大きさの図形を空中に描かなければならない。そのためには、人間の腕の長さでは不十分であるから、棒を持ってその長さを延長しているのである。。。というのが教科書的解説であるが、それは理由の一面にすぎない。あの小澤征爾は、マーラーだろうがブルックナーだろうが、ほとんど棒を持っていないではないか。真の理由は、「棒を持たないと図形を大きく描かなくてはならず体力的にしんどい」ということだ。棒を持たないで、奏者が自分の指先に注目してもらえるほうが、棒を持つよりよっぽど表現の幅は大きくなる。つまり持つか持たないかは、スタイルの違い、好みの問題である。

では、アマチュアの指揮者として棒を持つべきか、持たないべきか、どう判断するべきだろうか。まず第一に言えることは、「斉藤メソッドでいう叩きのできない指揮者は棒を持つべきではない」ということ。叩きができないということは、素手でさえも明確なテンポを表現できないということであるから、その動きを拡大する指揮棒の先端は完全にコントロール不能状態である。ここで指揮法について詳しく述べるつもりはないが、指揮棒を持つならば、自分でその先端の動きを感じ、先端で拍を感じなければならない。握りの部分で拍を感じているようでは、先端はコントロールされていない。これは頭ではわかっていても、なかなか難しいことである。軽く握っているだけのときも含め、レガート、アクセント、スタカートなどの様々な振り方で、先端に無駄な振動や揺れがないか、自分の棒の先端をよく観察してみるべきである。自分が指揮棒をコントロールできているかどうかの簡単な確認方法は、指揮の見方をよく心得ている楽器奏者数名に、自分の指揮を見てもらって手拍子をしてもらうことだ。手を見る人と棒の先端を見る人にグループ分けして手を叩いてもらえばすぐにわかる。これができなければ指揮棒を持つなと言っているわけではない。なぜなら指揮棒が良くないかもしれないからである。ただ言える事は、その状態では指揮者としては失格であるということである。

2016/04/29

音楽の流れに任せる

ベルナルト・ハイティンクのマスタークラスにて、「指揮者は常に前に立って音楽に介入するのではなく、音楽がそれ自体でうまく流れているときは、演奏者を信頼して彼らと一緒に呼吸をし音楽とともに進むべき」ことを学んだとのこと。まさにその通りです。
私は大学3年の最後にこれに気づかせていただいた。そしてそれ以降の人生が音楽以外でも大きく変わった、と思えます。



2016/04/11

続・楽譜とは

作曲というプロセス、つまり音楽を楽譜というかたちで残すことは、作曲家の心の表現であるアナログデータを、音符というデジタル情報で記録するということ。つまりその過程には、重大な情報の欠落があるというkとに気づかなければならない。一方、楽譜を見て演奏するということは、デジタルデータを人間の心に響くアナログ情報に変換するということ。したがって楽譜に書かれていないことを如何に再現するかということに、本来もっと時間と努力を払うべきであり、楽譜に書いてあることはあくまでも指標であり、「楽譜どおり演奏する」ことは演奏家として最低限必要なことである。