2020/05/12

移転・全面刷新中

移転先で全面刷新に取り組んでいます。
より皆さんのお役に立てるよう、書き換えた記事を少しづつ、こちらへアップしています。

学生オーケストラへの提言 https://note.mu/eps/m/m12a1e015db9d

最新記事:
指揮者は常に指揮者であれ
クラシック音楽と日本語の不調和〜日本人が演奏で気をつけるべきこと

2019/03/02

指揮の技術

斎藤秀雄先生をはじめいろいろな教科書がありますが、ここでは私個人が大切にしている指揮の技術的ポイントをあげてみます。この項は自分自身で経験を重ねてさらに追加改定していこうと思います。なお、私が個人的におすすめする指揮法の教科書は、Max Rudolf and Michael Stern, "The Grammer of Conducting: A Comprehensive Guide to Baton Technique and Interpretation"です。


ブレス
ダイナミックス
重い棒
鋭い棒
最大の山場
重心
左手
顔の表情


ダイナミックス
ダイナミックス、つまり音の強弱とは大小ではありません。ですから、単純にfを大きく振ったりpを小さく振ったりするのは正しくありません。fは強く、pは弱く振らなければなりません。具体的にはfにもいろいろあるため、一概には言えませんが、fはやはり体のどこかに力をいれなければなりません。時に下半身を踏ん張り、時に打点でこぶし(指揮棒)を握り締め、また時には打点のあとの上昇中に腕に力を入れたり、またある時には、目が充血し一気に汗がふきでるくらいにまで全身に力をこめることもあります。反対に、pはできるだけ力を抜いて、腕を空中でささえる必要最低限の力だけで振るようにします。しかしもっと大切なことは心の中の状態で、赤ちゃんを寝かせるつもりで自分自身が心を落ち着け、リラックスしなければなりません。いずれにせよ大切なことは、自分が楽器を演奏する時にどうするかです。ただし、自分の楽器の基礎が一人前でなければなりません。

ページトップへ
重い棒
スピードでコントロールするには、自然落下させて、点で瞬間的に止めます。さらには、ひじを横にはるとか、上半身全体で表現するとか、いろいろと方法はあります。打点で指揮棒を瞬間的にぎゅっと強く握るのも一つの方法です。

ページトップへ
鋭い棒
グラスファイバーの指揮棒なら、しなって風切り音がするくらいのスピードで振り下ろし、鋭い点が出せるように練習しましょう。このとき使う筋肉は、いわゆるたたきの筋肉だけです。

ページトップへ
最大の山場
ゆっくりのテンポでの最大の山場(交響曲全体で唯一、使いすぎないように注意!)では、指揮棒を両手でぎゅっと握り、頭の後ろまで振りかぶって、そこからおへその一まで振り下ろします。この時には、顔の表情も、口を「あぎょう」(大仏さんの門の左右にいる「あ」と「うん」の口をしている鬼みたいなやつの「あ」のほう)のようにかっと開き、眉毛も吊り上げます。その状態では数秒で顔が真っ赤になるくらいにエネルギーを放出します。剣道ではないけれど、声が出てしまってもいいでしょう。ほら、びっくりするような大音量が出るでしょう!?

ページトップへ
重心
指揮台に立っているときは常に、自分の体の重心を低く保つようにします。いわゆる「腰を落とす」ということです。これはスポーツと同じ理屈で、重心を下げる、つまり物理的には下半身でしっかりと上体をささえることによって、上半身の余分な力が抜け、腕をきれいに動かすことができるということです。椅子に腰掛けての指揮では、腰を落とすのはさらに難しくなります。従って技術的に未熟な指揮者は椅子に腰掛けての指揮は不可能です。「えらそうに見えるからやめろ」ではありません。

ページトップへ
左手
左手を常に右手と同じように振っていると、奏者は左手を無意識のうちに無視しています。そこでいざ左手で何かを表現しようとしても、誰も気づいてくれません。絶対にやってはいけません。著名なプロでも左右同じように振る人もいますが、本当の大指揮者は、やはり左手に専門性を持たせています。

使っていない左手は肘を軽く曲げ、左の腹の前くらいに自然にあるようにします。常に「気を付け」のように腕を真っ直ぐにしたり、お腹の上に置いたりするのはよくありません。

次に左手のテクニックを上げてみます。あくまでも方法論の例だけを出します。実際にどうするかは、どういう音楽にしたいか、するべきか、によります。

Cressendo
手のひらを上に向けて、ゆっくりと上昇させる。指を若干曲げめにするとか、ぴんと伸ばすとか、いろいろあり。握りこぶしをだんだんと強く握り締めながらでもいい。腕を伸ばしながらとか、腕を曲げながら手を先端にして持ち上げて行くとか、いろいろあり。クライマックスの金管とティンパニのクレッシェンドなんかは、少しあごをひいて上目ずかいで奏者を見ながら人差し指を突き出して持ち上げて行くのも効果的。
Diminuendo
指を軽く曲げ、手のひらを自分の顔へ向け、顔の高さから胸へ当てるように下げて行く。または、手のひらを下向けにし下げて行く。手のひらをオケの方へ向けると、もっとdimを強要するような感じになるので、これは下げて欲しいだけ下げてくれない場合だけ使うようにしましょう。肩をすくめながら両手を真ん中に合わせて行くのも方法。
Dolce
女性の手をとり甲に口付けするような感じ。指をやわらかく曲げ、手のひらを自分の方へ向けます。脇は軽くしめます。メロディーラインにあわせて、山ではその手を自分の口元に近づけてもいい。目の高さくらいまで上げすぎると、官能的になるので、使うケースは限られます(dolce espressivoなど)。心臓の位置へもってきて指を軽く握るのも効果的です。
Sotto voce
最も分かりやすいのは、「シーッ」とするのと同じく、人差し指を立てて口にあてる。しかしこれは強制力が強いのであまり多用すると、指揮を良く見ている奏者がいやがります。両肩をすくめ両手を真ん中に近づけ、左手の手のひらを若干オーケストラの方にに見せながら下を向ける。気持ちは「こそこそ内緒話」のつもりで。
Espressivo
これといった型はないと思っていいでしょう。曲によって、また人によって、多種多様なやりかたがあります。一つだけ言えるのは、自分の心の中にある表現したい内容を、大きなキャンバスに描くつもりで、両手に限らず全身、全精神を使います。右手は、Max Rudolfの"The Grammer of Conducting"のChapter 3にあるExpressive-Legato Patternをマスターしなければなりません。それに対する左手は、あくまでも右手からは独立した、独自の動きが必要です。左右全く違うということによって、よりダイナミックなespressivoとなります。
Vibrato
あくまでもespressivoのなかでのほんとの山場で、もっとヴィヴラートをかけた歌い方をしてほちい場合だけですが、左手首をヴァイオリン奏者のように返し、ヴァイオリン奏者がヴィヴラートをかけるのと全く同じ動作をします。ただしはっきりと奏者に見えるように、かなり大きく揺らします。
Subito piano
fp
Leggero
Energico
ページトップへ
顔の表情
技術的に未熟なアマチュア指揮者にとって顔の表情は、バトンテクニックを助ける大きな武器です。ぜひ活用すべきと思います。ただし、わざと表情をつくっているようではだめです。心の底から音楽に没頭し、その結果が表情にあらわれるべきものです。具体例を上げてみましょう。ただし、これはあくまで私の独断的解釈に基づいていますので、そのまま真似しないほうがいいです。

ベートーヴェン交響曲第9番の3楽章冒頭
これほど純粋で神聖な響きがほかにあるでしょうか。初めの2小節で「ほら、天から神が私達を見てくれていますよ。」ということを感じ、顔だけでなく全身で表現しましょう。オーケストラの最上段の少し上の空間の無限遠を見つめるように。はじまりのブレスは深く安らぎを求めるブレスです。右手は、毎裏拍から入る管楽器が「合わせよう」としなくても自然に入れるようにインテンポでガイドしてあげて下さい。
ブラームス交響曲第4番の1楽章冒頭
人生を春夏秋冬に例えるなら、この曲の出だしは冷たい木枯らしが吹き始める秋の終わりです。ただ「私はまだまだ若いぞ!」と思い直すのが4小節めから5小節めにかけて、そして「やっぱりもう冬かな」とあきらめるのが、5小節めから6小節め。自分が60歳くらいだと思い込むことが大切。そしていろいろな人生の出来事をアルバムのページをめくるつもりで。こういった背景を表現できるのは、顔です。この曲に関しては全楽章にわたって、まだまだ私なりの解釈があるのですが、ここまでにしておきます。右手はきちんと、はじめから八分音符をテンポで弾かせることと、管楽器の裏打ちをメロディーにからめるように、右手だけで見せられるようにしなければなりません。
チャイコフスキーのロメオとジュリエットの「愛のテーマ」
言うまでもなく、「不滅の愛」と「純粋さ」を表現しなければなりません。1回目の212小節めからは「ベランダ越しの愛の語らいと口付け」です。キスはxxx小節目です(ないしょ)。2回目の389小節めからは、本当に2人が結ばれる場面。2人がオルガスムスに達するのは何小節めでしょう?そこまで考えて表現しましょう。言うまでもなく、こういった表現は顔の表情だけではなく、左手のジェスチャー、姿勢、振りの大きさなど様々な要素が必要です。

2016/11/26

指揮棒の選び方

いきなりこのページに来た方、もしまだでしたらまずは「 指揮棒を持つか持たないか」を読んでほしい。

では、指揮棒を持つと決めたならどういう棒を選ぶべきか。長さ、太さ、材質、色、握り部分の大きさや形や材質などいろいろとあるが、最も重要なことは重心位置である。ただし、これが最も理想的だという重心位置はない。それは、指揮者の技量や音楽的成熟度などによって決まってくると思っている。

概して、経験の浅いアマチュアの学生指揮者や若い指揮者は、重心位置がなるべく握り位置に近い棒を持つのが良い。なぜならば、そうすることによって、単純に手や腕の動きが拡大されるだけで、指揮棒に振り回されることがないからである。重心が握り位置より先端側に遠ければ遠いほど、文字通り指揮棒に振り回される、つまりは棒の先端をコントロールできないという羽目になる。私自身大学3年のときには、ピックボーイの38cmグラスファイバーのコルクを取ったものの根元に、ゴルフクラブのヘッドに貼るバランス用鉛テープを巻いて、握ったときに丁度人差し指の上で釣り合うようにしていた。もう一点これの良い点は、グラスファイバーの軽すぎる棒をかなり重くできることである。こうすることで、指先や握りで指揮棒だけをコントロールすることは難しくはなるが、見やすい指揮になることは間違いない。一つ注意しておきたいのは、ピックボーイのカーボングラファイトに握り部分がローズフッドやエボニーなどの比重の高い木を使ったもの。これらのほとんどが、重心が握り位置より後ろ側になる。「高級品」を自負する以外、指揮棒としての実用性はゼロである。

技術的・音楽的成熟度から、こういった重心位置の棒での表現力に限界を感じるようになれば、普通に市販されているバランスのものを使える段階である。ただし、ここで注意しておくべきことは、やはりグラスファイバーやカーボングラファイトのものは軽すぎる。耐久性はあるのだが。おすすめはやはり木製で、ある程度の重さのあるものがよい。軽すぎるものは、棒の重みに任せた先端のコントロールがしづらい。ある程度重いものであれば、訓練を要するが、棒の重みに任せた表現が可能となる。これは弦楽器で、弓の重みに任せて音を出すのとまったく同じ原理である。決して棒の先端をコントロールしようとして強く握ってはいけない。棒の先端が自ら図形を動くかのごとく軽く握るべきで、それでもコントロールできる重さとバランスが大切である。ここでも、握り部分が木製のものはあまり推奨できない。やはりコルクのほうがバランス的に良い。下の写真でバランス位置を示した。

一つ目が45cm木製、重心が先端に近く、棒の重みを利用した指揮ができるが、コントロールは難しい。私もしばらく練習をサボっていると使いこなせない。


そういうときは次の45cmグラスファイバー製を使う。重心がやや握り位置に近いし、おまけに軽い。


最後が41cm木の丸棒で、普段室内楽の指揮に使用しているもの。ごらんの通り重心は中央であるが、重くもなく軽くもなく、非常に使いやすい。


指揮棒の長さについては、これはもう好みの問題である。傾向としては、小編成の室内楽などでは短い棒のほうが良く、大編成になれば長い棒のほうが良い。私の場合、フルオケを振るときは45cm、室内楽では38cmから41cmくらいであるが、私の使う長さはどちらかというと長いほうである。

最終的には私の指揮棒は村松の39.2cm(実測)に落ち着いた。フルオケでも室内楽でもこれが最もしっくりと来るようになって以来、同じモデルを何本も指揮棒ケースに入れて持ち歩いている。というのも、木製の棒は、指揮台に当たったりして簡単に折れるからだ。

指揮棒の太さについては、ある程度の太さがあったほうが奏者の側からは見やすい。グラスファイバーやカーボングラファイト製は細くて見づらい。この理由からもやはり木製のほうが好ましい。

握り部分の材質については、何度も指摘しているがやはりコルクに限る。木製のものは概してバランスがよくない。握り部分の大きさと形については、好みの問題ではあるが、余り大きく長いものは人差し指の第一間接に乗せたときに邪魔になる傾向があるので気をつけたほうが良い。自分の親指の長さ・太さ程度のものが使いやすい。球状のものはコルクを指先で握って棒の先端をコントロールするには向いているが、これはかなり高度なテクニックを要する。プロの指揮者でもこれをやる人は、私の知る範囲では二人しかいない。
指揮棒の色は、もちろん白が良いが、気をつけなくてはならないのが。奏者から見た背景である。つまり指揮者の着ている服の色、後ろの壁の色、あるいは窓から外が見えるならその背景の色、明るさである。私の出身大学のプレハブの第二音楽室は指揮者の背中側に窓越しに運動場が見え、グラスファイバーの白い指揮棒なんかは、管楽器からはほとんど見えない。

2016/11/05

指揮棒を持つか持たないか

これは非常に重要な選択であるが、多くのアマチュア学生指揮者が、明確な理由なしに「指揮棒は必要」と決め付けているようである(自分もそうではあったが)。指揮棒を持つ目的は何か。指揮者から遠い位置にいる奏者に明確に意思を伝えるためには、ある程度の大きさの図形を空中に描かなければならない。そのためには、人間の腕の長さでは不十分であるから、棒を持ってその長さを延長しているのである。。。というのが教科書的解説であるが、それは理由の一面にすぎない。あの小澤征爾は、マーラーだろうがブルックナーだろうが、ほとんど棒を持っていないではないか。真の理由は、「棒を持たないと図形を大きく描かなくてはならず体力的にしんどい」ということだ。棒を持たないで、奏者が自分の指先に注目してもらえるほうが、棒を持つよりよっぽど表現の幅は大きくなる。つまり持つか持たないかは、スタイルの違い、好みの問題である。

では、アマチュアの指揮者として棒を持つべきか、持たないべきか、どう判断するべきだろうか。まず第一に言えることは、「斉藤メソッドでいう叩きのできない指揮者は棒を持つべきではない」ということ。叩きができないということは、素手でさえも明確なテンポを表現できないということであるから、その動きを拡大する指揮棒の先端は完全にコントロール不能状態である。ここで指揮法について詳しく述べるつもりはないが、指揮棒を持つならば、自分でその先端の動きを感じ、先端で拍を感じなければならない。握りの部分で拍を感じているようでは、先端はコントロールされていない。これは頭ではわかっていても、なかなか難しいことである。軽く握っているだけのときも含め、レガート、アクセント、スタカートなどの様々な振り方で、先端に無駄な振動や揺れがないか、自分の棒の先端をよく観察してみるべきである。自分が指揮棒をコントロールできているかどうかの簡単な確認方法は、指揮の見方をよく心得ている楽器奏者数名に、自分の指揮を見てもらって手拍子をしてもらうことだ。手を見る人と棒の先端を見る人にグループ分けして手を叩いてもらえばすぐにわかる。これができなければ指揮棒を持つなと言っているわけではない。なぜなら指揮棒が良くないかもしれないからである。ただ言える事は、その状態では指揮者としては失格であるということである。

2016/04/11

続・楽譜とは

作曲というプロセス、つまり音楽を楽譜というかたちで残すことは、作曲家の心の表現であるアナログデータを、音符というデジタル情報で記録するということ。つまりその過程には、重大な情報の欠落があるというkとに気づかなければならない。一方、楽譜を見て演奏するということは、デジタルデータを人間の心に響くアナログ情報に変換するということ。したがって楽譜に書かれていないことを如何に再現するかということに、本来もっと時間と努力を払うべきであり、楽譜に書いてあることはあくまでも指標であり、「楽譜どおり演奏する」ことは演奏家として最低限必要なことである。

楽譜とは


画家は作品を直接鑑賞者に見せることができます。陶芸家は見てもらうと同時に触れてもらうこともできますし、使用してもらうこともできます。これらの物体としての作品を通して、作者は作品の意図、主義主張等を永久的に形にとどめることができます。もちろん、作品を見せるということは、作品表面で反射されてくる光を人間の目が感じ取ることですから、それを展示する場所の光線の具合で、ある程度は変化します。だから美術館などはそのことに十分神経をつかっています。

これに対して、音楽家は音楽を通して自分の意図、主義主張等を永久的にとどめることは、録音を除いてはありません。ですから、録音という技術ができる以前は、楽譜が「意図を人に伝える」という意味で重要な役割をはたしていました。もちろん録音が可能な現代でも、奏者に音楽の骨組みを伝えるという意味で楽譜は重要です。しかし完璧ではありません。マーラーや近代の作曲家は、楽譜に多くの言葉を用いて様々のパートに指示をしています。ブラームスをはじめ多くの作曲家が、発明された直後の録音技術を用いて、自作自演の録音を残しています。これらは、自らが表現しそれを人に伝えたいという、芸術家ならだれもがもっている願望のあらわれだと思います。つまり、作曲は自分の書いた楽譜だけで、後世に自分の音楽を残すことに物足りなさを感じていたと思います。だから楽譜だけに頼って演奏していたのでは、良い音楽は生まれてきません。

さらに、特に金管楽器について、昔は演奏不能であった音をどう処理するかという問題もあります。最近は原典主義とでもいいましょうか、作曲家が残した自筆譜に忠実に演奏するのがトレンドですが、一昔前まではたとえばベートーヴェンなどの2nd Trpなどで昔は低くて出せなかった音を吹かせるなんてことが当たり前でした。あるいは、モーツアルトが当時音程が不確かなため嫌っていたフルートを加えて木管楽器全体の割り振りをかえてしまうとか。私はあえて楽譜に手を加えることへの賛否をここでは表明しません。が、こういったことを考えることは作曲家の気持ちになって考えてみるという意味で大切なことです。

楽譜は考古学に喩えるなら、貴重な土器の破片です。指揮者と奏者全員が元々一つであった土器の破片をもっていないと、正確な古代の生活を再現することができません。つまり、全員が同じ版の楽譜を使わなければよい演奏、効果的な練習はできません。また練習番号を統一してふっておくことと、小節番号をふっておくことは常識です。繰り返しカッコの部分などは版によって小節の数え方が異なるので注意しましょう。これらの準備はオーケストラでの最低限のマナーです。

続・楽譜とは