2011/09/17

指揮者の条件

どうしたら指揮者になれるのか、という類の質問をよく受けます。これを話すといつも長くなるので、「指揮者に必要な資質」として私なりにまとめてみました。これはあくまでも私個人の経験といろいろな指揮者やオーケストラ奏者の意見を聞いて得た経験からのもので、他にも違った考えはあると思いますが、そう間違ってはいないと思います。

圧倒的な音楽性
指揮者が目指す音楽が魅力的でなければならない。オーケストラ一人一人がその魅力に取り憑かれて演奏することが望ましい。しかもそれが圧倒的でなければならない。オーケストラ奏者がどれだけ経験豊富なプロの演奏家であっても、指揮者は音楽を訴えかけ、皆を魅了することが必須である。魅力的な音楽は、後述するアナリーゼ能力などとは別に、指揮者自身の人生経験、社会経験、人間性、音楽以外の歴史や文化、特に多文化の理解によるところが大きい。また語学力は必須である。欧米の文献や人と交わらずにどうして欧米の遺産であるクラシック音楽を演奏できようか。

リーダーシップ
30人から100人の人間をまとめるに値するリーダーシップが必要。しかもアマチュア楽団の場合は、参加者それぞれの目的意識や価値観がバラバラであることも珍しくない。その人たちをまとめ、一つの方向へ導いていく力が必要。指揮者の特殊性は、自分自身の技術と音楽的能力でもってリードしていく部分。目指していること、命令が正しくても、それを伝える技術と音楽性を指揮者自身が持っていなければリーダーシップを発揮することはできない。「リーダーシップ」そのものについては、多々ある書籍等を参照されたし。

アナリーゼ能力
アナリーゼとは即ち楽曲の分析である。正しく分析し理解しているかどうかは、くみ上げていく音楽が正しいかどうかに直接関係する(アマチュアの間では間違った音楽はそこいらに氾濫している)し、最終的にできあがる音楽の魅力、芸術性、説得力に影響する。正しくアナリーゼできるかどうかは、基礎知識による。つまり、和声法、楽式論、対位法、オーケストレーション、さらに作曲家の人生や価値観、他の作品に対する理解、その作曲家の先輩、先生との関わりなど歴史の理解。各時代、各土地の民族音楽、民族文化の理解なども非常に重要である。

聴力
自分の頭の中で鳴っている理想の音と、実際に鳴っている音を常に比べ、その違いを是正する能力のことを言う。オーケストラの間違ったテンポ感に引きずられず是正できるか、歌い方が違っていればすぐに指摘できるかなどの能力である。

バトンテクニック
流派はなんであれ基礎をマスターしていることは言うまでもないが、弦楽器、管楽器、打楽器、時にはコーラスに対する指揮法を身につけていなければならない。特にソリストを伴う楽曲(協奏曲など)は、ソロの速い細かい音符をすべて聞き分けたり、ソリストのテンポの揺れを汲み取ってそれにオーケストラを合わさせるなど、幅広いバトンテクニックが試される。

語彙力、説得力
指揮者は指揮棒で音楽を示すのが第一であるのは間違いないが、それでも通じないときは多い。その場合、言葉でどこまでイメージを膨らませられるかが重要となる。

速読譜力
指揮者は楽曲の練習に取りかかる前に暗譜していることが望ましいが、練習中に止めてオーケストラに指摘する場合等、素早くその部分のスコアを読む能力が求められる。

暗譜能力
指揮とはオーケストラ奏者一人一人とのコミュニケーションを通して、奏者一人一人の持っている多様の音楽を一体化させていく作業である。そのため、奏者とのアイコンタクトは指揮の動作の中でももっとも重要な要素である。場合によってはバトンテクニック以上に重要になる。暗譜するということは、直接アイコンタクトの時間を増やすことにつながることは言うまでもない。

演奏会とは何か?

中学や高校の吹奏楽だと、たいていは夏の吹奏楽コンクールには出るのが当たり前で、ほとんどの人はそこに疑問を持たないだろう。冬のアンサンブルコンテストもそれに近いものがある。アマチュアオーケストラを対象としたコンクールはないが、そのかわりに大学のオーケストラはたいてい年に2回演奏会をやるのではないだろうか。なぜ演奏会をするのだろうか。それが毎年やっていることで当たり前だから?ここでは、演奏会をすることの意味について、また演奏会と発表会、コンクールの違いについても検証し、演奏会はどうあるべきか、どういう姿勢で臨むべきかについてまとめてみたいと思う。

演奏会とは観客のために音楽を生で演奏するイベントである。重要なのは「観客のために」であって、演奏者の自己満足のためにではない。大人の音楽団体でも、演奏会の目的が「自分の楽しみでやっているのだから自分が楽しめたらそれで良い」というようなこと、あるいは「一生懸命やったことを本番で試す場」などと正々堂々と発言する人を時々見かける。問題は、この考え方の根底にあるのは前者は「発表会」と同じ発想であり、後者は「コンクール」と同じ発想だからである。社会に出てからもオーケストラなどで音楽を続けていくであろう学生諸君には、いまのうちに「演奏会」の意味と責任を理解し、それを実際の演奏会を通してよく考え実践してほしい。

まず第一に、「お客様第一」であること。大抵の学生オーケストラの演奏会は、一般にチラシを配っているだろう。楽器屋さんなどにチラシを置かしてもらっているだろうし、ポスターも掲示しているだろう。確かにお客さんの大部分は演奏する学生の直接の知り合いだろうが、このように一般大衆向けに広告している以上「演奏会」として「お客様第一」を考え実践しなければならない。

第二に、「音楽が主役」でなければならない。ホールという空間に音楽を作り上げそれを観客にとどけ、一緒に感動する。それが演奏会である。当然のことだが、演奏者が感動していなければ、観客が感動するはずはない。しかし、それが自己満足だけの感動であっては「発表会」の域を出ない。その違いは何だろうか? 誰でも話をしていて、相手に通じているか通じていないかはわかるだろう。自分が面白い、あるいは感動した、あるいは悲しい話や、興奮した経験を話すとき、相手も同じように悲しんでくれるか、興奮してくれているか、わかるだろう。相手が自分の話に共感したとき、その時は「話の内容が主役」になっている状態である。「話し手が主役」ではない。音楽もそれと同じだ。誰か1人のために演奏したことがあるだろうか?自分の思っている気持が相手に伝わっただろうか?簡単なことではないですね?演奏会となると、さらに難しい。お客さんは何百といるのだから。でも一つだけ言えることは、自分しか見えていない、あるいは自分たちのオーケストラの中でしかコミュニケーションをしていない演奏と、観客に何かを伝えようと全員が思って演奏する演奏には、明らかな違いがあるということ。話を聞いてくれる人に話の内容をわかってもらおうという謙虚な姿勢、そして相手の気持を受け止める真摯な態度が必要ということと同じことだ。音楽で気持を伝えようとすること。そして客席でどう思ってくれているのか汲み取って演奏すること。演奏会で音楽を聞いてもらうというのはそういうことだ。

もう少し別の視点から見てみよう。逆に「発表会」とは何か?「発表会」とは自分がいままで練習して来たことを「一生懸命練習して上手になったでしょ?ほら?聞いてよ」と発表する場である。主役は演奏者であって音楽ではない。あるいはお客はいてもいなくてもかまわないかもしれない。「舞台経験」を積むという意味ではお客はいたほうがいいが、それも演奏者主体の考え方だ。音楽が主役ではない。聴く側の人も、自分の子どもや知人が「どれだけうまく舞台で演奏するか」や「他の生徒と比べてうちの子どもはどうなのか」が関心事であって、音楽そのもので感動したい、ということが第一ではないだろう。しかも通常、発表会は演奏者の家族くらいにしか案内状は配られない。

では、コンクールとは何か?少なくとも私が中学高校と関わってきた吹奏楽コンクールでは、音楽の最も重要な部分、人に感動を伝えられるかどうか、ということが審査の対象になっていない。音程があっているか、音が出ているか、揃っているか、楽曲として組み立てられているか、などしか審査の対象になっていない。つまり、こじんまりとしていても上手に演奏するほうが、大胆で音をはずすかもしれないような危険を冒しても何かを表現しようとする演奏よりは評価される。スポーツと同じ感覚だったら吹奏楽コンクールはある意味その役割を果たしている。しかし吹奏楽人口がこれだけいても、一生音楽を続ける人が以外と少ない原因がどこにあるかと言えば、コンクール重視の中高時代の音楽環境に問題があると私は思う。

簡単に3つの比較をまとめると、発表会は「演奏者」が主役であって、演奏者がどういう音楽を演奏しようが、舞台に立つことが目的で、見る人は、舞台に立つ自分の子どもを見ることが目的である。コンクールは、審査員に良い点をもらい勝つことが目的で、言ってみれば審査員以外の観客が音楽で感動したかどうかは関係ない。一方、演奏会は「音楽」が主役でありそれを観客に伝えることが目的でなければならない。

「演奏会」に来る人たちは、音楽そのものに期待してホールに来ているはずだ。もちろん、アマチュアの演奏会には、自分の家族や知り合いだから、という理由で来ている、ある意味「発表会」と同じ状態の観客もいるだろう。しかし通常アマチュアでも演奏会は、不特定多数の人の目にとまるよう、チラシやポスターをあちこちに設置している。それを目にする受け手側からすれば、期待を膨らませて演奏会そのものを楽しみたいと期待して来る。そういう意味で「発表会」とは全く違う。発信する側と受ける側がそろって初めて成り立つのが演奏会だ。その演奏会で、観客の期待を裏切ってしまえば、その観客は次の演奏会にはまず来てくれないだろう。そういう意味で、無料であろうが有料であろうが、「アマチュアだから」という甘えは許されない。演奏が観客に評価されることが、後輩に対する責任であり、自分たちのオーケストラの存在価値そのものを問うていることである。単純に計算すればわかることだが、例えば演奏会で使うホールが1000人収容できるとする。あなたのオーケストラがある地域の中で音楽に興味のある人口が1万人であったとする。1回の演奏会で「このオケはもういい」と思われたら、次の演奏会に来る可能性のある人口は9000人に減っていることになる。そういうことをつづけていれば、だんだんと来てくれる人は少なくなる。ぜひともその逆のポジティブな波に乗ってもらいたい。あなたの演奏を聞いた人が、次に演奏会に来るときには、知人を誘ってくるというようなポジティブな波に。

最後にもう一度。演奏会は「お客様第一」であり音楽が主役の場である。自分が主役ではない。あくまでも音楽を観客と共有し共に感動する場でなければならない。オーケストラ全員がこれを腹でわかっていて実践できればきっといい演奏会になるはず。

追記:こちらの新しい記事ではマーケティングの視点からまとめてみました。

ホールという大空間で成功するための練習


大抵のオーケストラは、普段の練習を音楽室やリハーサル室など、オーケストラが入ればそれだけで部屋いっぱいという狭い空間で練習している。しかし本番のホールの舞台に乗れば、音で満たすべく空間容積は普段の練習場所の数倍から時には10倍以上となる。ここで問題になってくるのが、1) 一人ひとりが音を遠くへ届かせることと 2) 目で確認して合わせること、の2点である。

音程感覚を身につける


音を物理的に表現したときの4つのパラメーター、基準周波数(音程)、波形(倍音構成)、エネルギー(強弱)及びその時間変化(発音、余韻など)のうち、心地よい音楽を聴いてもらうために何が最も重要かというと、それはおそらく音程であろう。音程がとれていないソロもたいがいだが、音程が合っていない合奏ほど聞いているものにストレスを与えるものはない。つまり音程の合っていない演奏は苦痛だということ。他方、その他のパラメーター、倍音構成つまり音色や、強弱、発音・余韻などが多少ダメでも、ハーモニーさえ合っていれば、かなり聞き心地はよい。音程は訓練すればきちんと取れるようになる。あきらめないで練習することが肝心。

ほとんどの技術は努力で得られる

奏者にとって、練習量・努力によって克服できることと、そうではなく才能・センス・耳が関係することとの違いを知っておく必要があります。そして前者については、「来週までに出来るようにしておいて下さい」等と奏者に対しては厳しく臨むべきです。また「練習次第で出来ることなのだ」と励ましてやることも大切です。後者については、地道にその奏者、あるいはパートと一緒に取り組んで行くという姿勢を示すことが大切です。多くの人が「自分にはセンスがないから無理だ」と思っていることが、実は努力によって誰でもが克服できることが多いのです。その例は多くあり、速いパッセージ、音をはずさないこと、正しいリズム、一定のテンポ、音程、ハーモニー、読譜力、周りを聴いて合わせること等まだまだありますが、オーケストラで音楽をつくっていく技術のほとんどが、努力によって得られるものであることを知っておいて欲しいものです。しかも脳科学の見地から、これらは大人になってからも可能であることが実証されています(天才はいない)。

2011/09/16

チューナーは両刃の剣

技術が進歩し、いろいろと便利な道具が手に入る次代、オーケストラの世界もまた例外ではない。その一つにチューナーに接続するピックアップがある。管楽器だろうが弦楽器だろうが、自分の楽器の適当なところにゴムのクリップを留めると、合奏の最中でも自分の音だけをチューナーが拾い、自分の音程を確認できるというすぐれもの。いろいろなオーケストラで最近は、合奏練習中にこれを常に使っている人を良く見かける(管楽器に多い)。確かに便利なのだが、私はこの使用方法には警鐘を鳴らしたい。絶対にやってはいけないことの一つと思う。

その理由はいろいろある。まず第一に、基準となる音程は常に変化していること。オーケストラでのハーモニーは純正調が基本である。したがって基本的な主和音、属和音、下属和音であっても、チューナーのど真ん中に合わせている様では美しいハーモニーは得られない。ましてや、古典派以降の音楽をするにあたっては、純正調の限界を超える複雑な和声が取り入れられているのだから、基準は常に変化している。基本的にはメロディーが綺麗につながるように、内声部はその音程を微調整しなくてはならない。つまり記譜上同じ音程でも、実際に演奏すべき音程は場所によって異なる。

第二に、アマチュアのレベルではさらに難しく、基準となる音程は、お互いに音程が悪い者同士で力比べをしているようなもので、大抵は音量の大きな楽器、音程が上ずっている楽器が基準となってしまい、多くの人がそこへ無意識のうちに合わせてゆく。だから自分だけチューナーを基準に「自分が正しい」と主張するのは、建設的でなく全く意味がない。その主張が効力を発揮するのは、唯一管楽器セクション全体が弦楽器セクションとずれてきた場合。弦楽器は常に開放弦という基準があるから、そこへあわせるのは正当な方法である。しかし、この場合もチューナーを基準にするのではなく、あくまでも耳で聞いて自分の音を弦楽器に合わせるべきである。そして自分が正しいと思っている音程で他の管楽器をリードしていくべきである。

最後に、こういうチューナーの使い方をしていると、いつまでたっても自分の耳で正しい音程をとることができない。「この人、いい音程で吹いているな」と思って、チューナー無しでデュエットなどをしてみると、自分自身で音程をとれていないことがすぐにわかる。私はこういった例を山ほど見てきた。

では、どうやって音感を訓練するか。チューナーは使い方さえ間違わなければ非常に有効な道具である。私が勧めるのは以下の練習方法。まずドの音をチューナーで合わせ、覚える。そこからチューナーを見ずに、スケールで一オクターブ上がり、そこでチューナーでドを確認する。やってみると意外と簡単ではないことがわかるはずだ。まず、これがきっちりとできなければならない。これができたら、一旦チューナーから離れて、ピアノを使う。ピアノのペダルを踏んでドを弾き、オクターブのスケールを自分の楽器でやってみる。ミ、ソ、ドがピアノのドにきちんとハモるかどうか、チェックする。同様にV7の和音、IVの和音もピアノで根音を鳴らしながらやってみる。ただし、知識として、この場合のIの和音以外の他の和音は、いわゆる純正調ではないことは知っておくべきである。なぜなら基準となるピアノがすでに12平均律でチューニングされているからである。これができるようになったなら、またチューナーを使ってみる。今度は、練習曲でもなんでもいいから、曲を吹きながら、時々チューナーに目をやる。自分の思っている音程が間違っていないかどうかを確認するのである。しょっちゅうチューナーを見て、いちいち合わせるのではなく、あくまでも、自分の耳で音程をとり、それがずれてきていないかどうか、時々チューナーで確認するのみに留めておくべきである。

最後に、私が音感を鍛えた方法をここに書いておく。私はエレクトーンで育ち、管楽器を、中程度のブラスバンド、オーケストラで吹いてきた。だから音感はあまり良くなかった。これを克服できたのは、弦楽器を徹底的に練習したからである。これは指揮者として、様々な弓使いをマスターすることが主目的であったが、音感を鍛えるのにも非常に有効である。単純なスケール練習だけで、スケールが開放弦に来たときに、自分の音程のずれを嫌というほど思い知らされた。これがきれいに弾けるようになる頃には、音感が身についていた。少しずつできるようになったというよりは、あるとき突然音程の感覚のコツを覚えた記憶がある。

合奏中も常にチューナーに頼っていては、この「突然の気づき」のような瞬間は決して訪れない。なぜなら、ハーモニーは正しくないか、正しいかという白か黒かの問題で、どの程度正しい音程からずれていて、どの程度まで正しくできるかという問題ではないからである。皆で作るハーモニーも、「徐々に良くしていこう」ではダメ。本当のいい響きを実感できなければ、いつまでたっても正しいハーモニーは生まれてこない。耳を使い完璧をめざそう。

脳を鍛える

以前から左脳は論理、言語、右脳は立体認識や芸術などに司っていることは知っていたが、最近それを意識的に鍛えることができるのではないかと思い始めた。理由はこうだ。私は小さい頃からエレクトーンで育った。ピアノと違いエレクトーンは、右手には早いパッセージが多くでてくるが、左手はもっぱら和音を使った伴奏である。その分左足を多用するが、足の指先を細かく使うわけではない。また、小さい頃から和声、カデンツァ、編曲、即興演奏などを習ったが、YAMAHAのカリキュラムかどうかは知らないが、もっぱらパターン化されたことを習った気がする。グレードアップ試験のための勉強であり、ある意味受験勉強に似ていた。

習うこと、学ぶこと

プロの音楽家にレッスンを受けることが、楽器上達への近道であることは、ほとんどの場合においてまず間違いない。しかし、そうではない場合もあるので、これからレッスンを受けようと思っている人は、自らを振り返り、以下のような勘違いをしていないか、よく考えてみてほしい。「自分で練習するより、習ったほうが楽に、簡単に、早く上達するだろう。」あるいは「自分の演奏は今ひとつ音楽的でないから、習ったらもっと音楽的になるだろう。」というような考えだけでレッスンについても、その効果は疑問である。漠然と「自分は下手だ」と自覚しているだけで、人から習っても、決して身につくものではない。それまでに自ら徹底的な研究・練習を繰り返し、壁にぶちあたり、自分の何が問題なのかをよく考え、それに挑戦し、それでも納得がいかない場合にのみ、教えてもらったことが、暗闇に差し込む一条の光のように思え、それが身につくのである。自らの努力なしに教えてもらって、その場でだけ分かってできるようになっても、それを維持していくことはまず無理である。それは、外国語を習得するのに、自らを日本語の通じない環境に置くことをせず、常に辞書に頼るようなものであり、自分で1冊の本を読むことをせず、人が書いた要約を読んで、1冊読んだ気になっているのと同じことである。なお、ここで言及していることは、プロの音楽家に習う場合のみならず、先輩に教えてもらう場合も同じであるし、数学や化学などありとあらゆる学問を習得するについても同様である。

演奏の三要素を理解し伸ばす


音楽を演奏するには、楽器奏者であれ、指揮者であれ、音楽的であること、自分の意志を人に伝えるということ、そして音を出す技術、の三つの要素がどれも必要不可欠です。どれも演奏するためには必要不可欠ですあり、上に挙げた順番に特に意味はありません。上手あるいは下手と一言でかたずけてしまわずに、自分自身の能力を客観的に分析し、何を伸ばす必要があるのかを正しく理解することが、上達への近道です。技術的上達度合い、精神面での成熟度、経験などによって、何が不足しているかは人それぞれです。以下にそれぞれの要素をいかに伸ばしていくか、私なりの経験をまとめてみました。

目標を知る


楽器が上手になるためには、目標を持たなければいけない。私は学生には二つの目標をもってほしいと思う。一つはCDなどで聞く一流の演奏家。二つ目は身近に聞くことのできる先輩、友達、先生など。一つ目の目標については、誰でももっていると思うのでここでは議論しない(もっていない人は論外)。では、なぜ身近な人を目標として持つべきかというと、それは実際の音の比較のためである。CDやコンサートホールの客席で聞く音は、いわゆる「聴く側の音」であって「出す側の音」ではない。「聴く側の音」を自分で出す音の目標におくことは、とんでもない間違いであり、アマチュア演奏家の多くがこの落とし穴にはまっている。では「出す側の音」とはどんなものか。

アンサンブルのすすめ


指揮者を含めオーケストラ奏者には、ぜひとも常日頃からアンサンブルに親しんでほしいと思います。二重奏から五重奏くらいまでのアンサンブルで息を合わせて気持ちの良い演奏ができないのなら、その奏者はオーケストラの中でいい演奏はできません。したがってオーケストラとして生き生きとした演奏はできません。なぜなのか説明しましょう。

2011/09/11

List of Works Conducted Other Orchestras

その他のオーケストラで、指揮をした曲のリスト(ただしカッコつきは演奏会本番の経験のないもので、プロ指揮者の下振りや後輩の指導などでの経験のもの)

List of works that I conducted other orchestras. In the parentheses are the ones that I did not go on stage but worked as assistant conductor or the trainer for young conductors and orchestra.