2012/05/20

このサイトについて

20年余りのオーケストラ指揮者としての経験から得た哲学、音楽観、大学オーケストラと学生指揮者の後輩達の指導を通して得た指揮の技術、指導法、リーダーシップ論、楽器・音楽上達の秘訣など、そして海外赴任で得た「外から日本を見る」経験から、クラシックを演奏する上で日本人として知っておかなければならない文化的側面についてわかりやすく解説している。

2012/05/19

創造するということ

音楽を演奏するということは、創造するということである。創造とは自らの力で、無から何かを作ることである。しかし、創造せずとも音楽は演奏できてしまうところに、大きな落とし穴がある。そういった例としては、自ら考えずに先生や上手な人から教えられたとおりの弾き方・吹き方で演奏すること。自ら考えずに「楽譜に書いてあるから」と、その通りに演奏すること。あるいは誰々指揮のCDではここのスラーをどうしていた、とかテンポがどうだったとか、そのまま考えずに真似すること、などがあげられる。

重要な点はすでに明白であろうが、それは「自ら考える」ということである。演奏会をするにあたって、いつ、どこで、何の曲を、誰のために演奏するのかを自ら考え、企画すること。どうしたら上手になれるのか、いい音楽にできるのかを自ら考え、試行錯誤の練習を積み重ねること。一つ一つの旋律、伴奏、そして一つ一つの音符で、自分は何を表現したいのか、何を伝えたいのか、訴えかけたいのか、自ら考えること。これらの一つでも欠けていれば、音を通して観客に自らの気持ちを伝えることは不可能であるし、観客に対して失礼である。なぜなら下手なアマチュアの演奏を聞くより、家でCDを聞いていたほうがましだからだ。

最初にあげた悪い例について、真似をすることそのものをいけないと言っているのではない。人から与えられた解決方法を自分なりに解釈し、自分のものにし、自らの欲求から行い「真似」することはむしろ良いことで、上達への早道でもある。もちろん、ここでいう「自分のものにしてからの真似」はもはや真似ではなく、創造と呼ぶべき領域に入っている。自分のやっていることがただの真似でないか、創造しているか、自分の心に問いかけなければならない。

チューナーは両刃の剣 - 理論編


私の大学時代の先輩がコンマスであった頃の名言で「Aはどこにでも転がっている」というのがある。当時大学1年であったのであまり意味はわからなかったが、ある意味的を得ている。ここでは、その検証をしてみる。つまり基準音A=442Hzがどれほど一つの曲の中で動いているものなのか、物理学の面から検証してみた。

まず、オーケストラのチューニングはA音を基準に、弦楽器は完全5度(コントラバスは完全4度)調弦をする。完全5度調弦は、E<--A-->D-->G-->Cであり、完全4度調弦は、G<--D<--A-->Eである。 第1の疑問は、開放弦はどれくらい12平均律から乖離しているかということ。完全5度の周波数比は2:3、完全4度は3:4であるから、セント単位で表すと以下のようになる。(1セントは12平均律の半音の1/100)

E +2
A 基準
D -2
G -4
C -6

ということは、チェロやビオラのC弦解放が出てくる曲はチューナーを頼っていたらかなりずれていることになる。例えば、ベートーヴェンの運命の第4楽章がそれにあたる。この曲はC-Durである。冒頭の和音で2ndVnにはG弦解放、Va、VcにC線解放があるから、必然的にそこが基準になる。つまりそのC-Durの基準はA=442で合わせた12平均律からは6セント低い。

意識の分散と集中


オーケストラの中で楽器を弾くには、意識の分散と集中の絶妙なバランスが必要だ。集中はもちろん音楽に集中することで、誰でもできる簡単なことなのだが、意識の分散はある程度の経験とコツをつかむ必要があるのではないかと最近思ってきた。

演奏中は視覚と聴覚を最大限に使っている。でも動物の五感のうちの残り二つ、嗅覚も使うだろうし触覚も使っていると思う。つまりオーケストラの中に広がる興奮の匂いや、静寂感、熱さなど音楽的表現に伴う体の変化からくる匂い(ホルモン系物質の蒸散による)は、アンサンブルする上でお互いに影響しあうという意味で大事な要素である。また人間は耳だけで音を聞いているわけではない。肌の振動から骨伝導によって聞こえてくる部分も、低音は特に顕著である。よって、「全身を研ぎ澄まし」て演奏することが大事なのだ。

これは車の運転と似たものがある。車を運転するときは、エンジン音で車の調子やスピード、いま何速のギアに入っているかなど感覚的につかんでいるし、自分の体よりはるかに大きな物体のサイズを感覚的につかんで動かしている。眼は前方だけでなく、左右や3つのミラーを頻繁に見ている。レーシングドライバーの中島氏が言っていたが、ミラーと前方は注視しないのだそうだ。なんとなくぼやっとミラーも含めた全体を見ているのだそうだ。つまり意識を分散して、同時に多数の情報を取り込み脳で処理している。確かに、事故を起こしやすいタイプの人は視覚を前方なら前方、ミラーならミラーにしかもっていくことができない。そういう人の車に乗せてもらうとひやひやする。

ではオーケストラで弾くには具体的に何が大切なのか。特に視覚と聴覚について整理してみたいと思う。

踊りと指揮



私は、リズム感というものは、遺伝的に受け継がれるのか環境で左右されるのかはわかりませんが、2-3才ころまでにある程度かたまってくるものだと思います。これは自分の子供と、友人のアメリカ人の子供、アフリカのセネガルの子供と比べて、思うのです。歌を歌うと、日本人はどうしてもリズムに強弱のない、いわゆる1拍子になりますが、アメリカの子供とアフリカの子供には強弱の伴った2拍子や4拍子の原形が感じられます。これには日本人の大人の音楽愛好家が練習してもなかなか真似の出来ない、「「これぞジャズの原形」みたいなビートが感じられます。

日本のブラスバンドやオーケストラでアメリカ音楽を演奏すると、たいてい、「ん?なんかちがうぞ」となります。音符にはあらわれない微妙なスイングを日本人は知らないのです。血となり肉となっていないのです。外国人の歌う演歌や、外国人の踊る盆踊りがどうもポップス調であるのと同じことです。

これに対して、ベートーヴェンなどの古典派以降のヨーロッパ音楽は、皆さんよく知っているので、知ったつもりになっていますが、実のところその元となっているルネッサンス時代やもっともっと昔の民族音楽、さらにもっと昔にさかのぼって狩猟生活時代の彼らの走りかた、馬をどう駆っていたかなどが想像できないと、ベートーヴェンやその他の名曲もその神髄をとらえることはできません。

私はここで、ダンスをすることをお勧めします。まずは簡単なダンス音楽ですね。ポップスでもロックンロールでもかまいません。それから、ワルツ、タンゴ、メヌエット、などなど。。。自分なりに体を動かしてみましょう。ステップを踏んでみましょう。なにも上手に踊ろうと思わなくていいです。リズムの強弱を体で感じられるように、そして微妙な拍の「ゆらぎ」を感じられるようになれば、かなりなものです。そして映画やNHKの「名曲アルバム」などで本当の民族舞踊を見てみたらいいと思います。

洋の東西を問わず、音楽と踊りは密接な関係をもっています。

指揮は踊りの究極の姿とも言えるでしょう。

指揮棒(番外編)



私の指揮棒コレクションには、いまだ一度も舞台で日の目を見たことの無い棒がある。それは、私が大学3年生でドヴォルザークの交響曲第7番をやっていたとき、冗談で、光る指揮棒があったら、アンコールで舞台を暗くして光る指揮棒で振ったらどうかという話を当時のコンサートマスターY氏としました。そして犠牲にしても良い指揮棒を彼に託しました。そうしたら数日後なんとY氏が作ってきたのです。赤いLEDを指揮棒の先に接着し、細いエナメル線を巻きつけ、コルクの柄に穴を開け、釣りの浮に使う小型電池と抵抗が装着されていました。スイッチは抵抗の先についているリング状の金具を電池に直接差し込むというものですが、実際に光ります。

この当時、ドボ7のアンコールに予定していたエルガーの愛の挨拶で、実際この棒を使ったら、誰か気づくだろうか、とまじめに使うことを予定していました(ただし舞台を暗くするつもりはなかったです)。本番当日、この指揮棒を舞台袖のデスクに置いておくところまでは、やったのですが、本番の興奮で、アンコールに出て行くときにはすっかり忘れていました。残念!

楽譜とイメージと技術


音楽を演奏するということは、楽譜という単なる記号の集まり(「楽譜とは」参照)から、聞く人の心に訴えかける「言葉」というか「メッセージ」として伝えるということである。ここでは、そのプロセスにおいて、私が心がけていることを紹介しよう。アナリーゼのやり方などはたくさんの書籍があるので、そちらを参照されたし。

楽譜を読むとき、最初からピアノなどの楽器に頼らず、まず譜面から読み取った音を頭の中で鳴らすこと。これができなければ、実際に指揮をしているときに、正しい音(欲しい音)と実際に聞こえてくる音との違いを聞き分けることはできない。

また、楽譜を読みながら、曲想などを考え組み立てていくときには、手や体を動かさずに、あくまでも頭の中だけでイメージを膨らませること。そしてそのイメージが漠然としていないか、具体的にどの音をどうすべきかを分析できているか、よく考えてみること。漠然としている場合は、何度も曲全体から細部に向かって、あるいは細部から全体へとイメージし、具体的にどの音をどうすべきなのか、オーケストラに指示を出せるレベルまで、頭の中で具体化すること。

ここまでは指揮をせずに、頭の中だけで音楽を考えてきた。なぜ、これまで指揮をせずに考えてきたか。それは、指揮をしながら考えることによって、作れるイメージが指揮(手・腕)の技術の範囲に限定されていしまうからである。手を動かさずに、頭の中だけで考えることによって、自分の指揮の技術では表現できない、もっと高度な表現を含んだ音楽がイメージできるのである。

そして次の段階で、頭の中で具体化した音楽を、いかに指揮という動作で伝えていくことができるか、研究する段階となるのである。

ここで紹介した例は指揮者としてスコアからオーケストラ音楽をつくりあげるプロセスであるが、奏者にとってもまったく同じである。

2012/05/13

Author Toshi Iwata


Currently: Freelance flutist, member of Orchestra Chimica
Occupation: Scientist working for Beauty Care Products Development
Hobby: Classical music, cycling, running, having beer with friends
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Biography

Mr. Iwata was born and grown up in Japan, learned electric organ and piano since 4 years old from Ms. Junko Daiju. He played euphonium, trombone and bass tuba in high school wind concert bands as well as conducted the bands. In Osaka Prefecture University, while studying biochemistry, he took leadership in collage orchestra as a conductor and a flutist while studied conducting under Mr. Nobuyuki Ando and flute under Mr. Yutaka Iijima, both the members of Osaka Philharmonic Orchestra. In 1990, he was appointed to be the principal flutist in The 5th Symphony Youth Orchestra directed by Maestro Ken Takaseki, a major achievement after 3 years from switching to flute from bass tuba. After graduating the university, he took trainer's role for the orchestra for about 10 years, teaching the orchestra and young conductors. While teaching orchestra and conducting, he was the flutist and the assistant conductor for Maestro Masataka Kohno in Yamanami Grüne Orchestra in Kyoto (1992-1993), a flutist in Brazosport Symphony Orchestra in Texas, USA (1993-1994), a flutist in Niihama City Wind Orchestra (1995-1996), after returning to Osaka/Kobe area, he joined Sakai Philharmonic Orchestra as a flutist where he was appointed to be the assistant conductor as well. In year 2000 in Cincinnati, USA, he joined Cincinnati Civic Orchestra as a flutist. Returning to Kobe, he joined Miki Chamber Orchestra with hope to enjoy his flute, but was appointed as the music director where he helped to grow the orchestra for next 10 years. Besides this role, Mr. Iwata was chosen to be the conductor of Orchestra Chimica to perform the first concert after the Annual Symposium of Japanese Chemical Society. Since then he conducted this orchestra 3 times. In 2009, he was appointed as the chairman of the board of non-profit organization Greater Seishin Music Network. He resigned both the music director of Miki Chamber Orchestra and the Chairman of Greater Seishin Music Network in preparation to move to Singapore.

List of works conducted
Miki Chamber Orchestra
Other orchestras

著者 岩田俊之


フルート奏者
化学オーケストラ・メンバー
本業:化学系メーカー研究開発員
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岩田氏の指揮の特徴は、鋭い審美眼と、それとは対照的な、しなやかな手の動きにあります。繊細な感性によって、まるで糸を紡ぎ出すかのように、オーケストラから次々と音色を引き出していきます。その凛とした、気品のある姿勢は、演奏者と観客を大いに魅了します。そしてその背後には、音楽への真摯な態度と音楽家たちへの深い愛情があることも忘れてはなりません。彼は、音楽そのものに対して非常に誠実ですが、それと同時にアマチュア演奏者の音楽的成長を心から願う、教育的な見地に立って指揮を振ります。音楽を愛する心を何よりも大切にし、その心を分かち合うことを最高の喜びだと思っているのです。ところで、彼の本業はエンジニア。なぜエンジニアが指揮者を?と思われるかもしれませんが、その理知的かつ科学的な態度からして、まさにルネサンス期の音楽家なのだと思えば納得がいくでしょう。(かつて芸術と科学は一体だったのです!)科学者らしいあくなき探究心と向上心、妥協をゆるさないその姿は、自らのHP「学生オーケストラへの提言」に垣間見ることができます。三木室内管弦楽団のみならず、多くのアマチュア・オーケストラの演奏者や指揮者の支持を集めています。 (by A.N.)

ブレス

いわゆるアウフタクト、つまり予備拍は指揮者の最も大切な役目です。予備拍で「音楽を見せる」こと。しかしアマチュアの指揮者の多くは、これができていない。それは予備拍を「見せる」ことばかりにとらわれていて、音楽にあったブレスができていないからです。

腕をどう動かすか、どう見せるか、ではなく、自分が体で音楽をどう感じて歌うか、が先にこなければいけません。自分が歌う。そして体全体で表現する。そして手が自然に動く。これが指揮の基本です。

ブレスはテンポや強弱、曲の表情によって異なる。オーケストラ全体に伝えるつもりでブレスをすれば自然に頭、顔、わずかでも体は動きます。この動きだけで指揮者として十分なのです。これを分かりやすく腕(指揮棒)で拡大するだけです。つまりブレスが自然であり、腕が無理無く動くということが基本です。

Valery Gergiev Conducting Masterclassのビデオをぜひ参照されたし。ここでのGergievが言っているポイントは、「奏者には目で合図せよ」ということですが、彼の見本は目と頭の動きだけで指揮をする、つまり小さいブレスで指揮をしているということです。


指揮をするということは、呼吸をすること、つまり音楽そのもの(全パート)を声を出さずに歌うことです。そして呼吸にあわせて手や体が動き、発汗量や顔の表情に変化が生まれるのです。おそらく、心拍数や血圧も、曲の表情にあわせて変化しているはずです。

もちろん、指揮の動作の基本や決まり事はありますが、音楽そのものを体のどこかで表現するという発想、姿勢がなければ、いくらバトンテクニックが上手くても、オーケストラには何も伝わらないし、そこから音楽は生まれません。